2021年2月7日日曜日

JLPT N3: Japanese Short Stories: Soseki Natsume: I am a Cat



吾輩わがはいねこである』(I am a Cat)を



吾輩わがはいねこである』(I am a Cat)を

んでみましょう。



この小説しょうせつは、

ねこ

人間にんげん一緒いっしょ生活せいかつしながら

人間にんげんについて、かた

というはなしです。



しかも、

そのねこには、名前なまえがありません。



いえ主人しゅじん(master)が、

名前なまえをつけなかったからです。



だから、そのねこは、

自分じぶんのことを「吾輩わがはい」といます。



吾輩わがはいとは、「わたし」という意味いみです。



ふる言葉ことばです。



この小説しょうせつときには、

この「吾輩わがはい」を、

ねこ名前なまえ

おもってむことができます。



さて、この小説しょうせつは、とてもながいのですが、

みじかはなしが、たくさんあつまった小説しょうせつなので

すこしずつんで、

たのしむことができます。



では、最初さいしょのところをんでみましょう。



 吾輩わがはいわたし)は、ねこである。



 名前なまえは、まだい。



 どこでまれたのか、まったく、わからない。



 とにかく、くらいところで

 ニャーニャーいていたことは

 おぼえている。



 吾輩わがはいは、

 ここで、はじめて

 人間にんげんというものをた。



 しかも

 あとでくと、

 それは、学生がくせいという、

 人間にんげんなか一番いちばんわるひとたちだったそうだ。



 この学生がくせいというのは、

 時々ときどき

 我々われわれつかまえて、

 料理りょうりして、べるらしい。



 しかし、その当時とうじは、

 そんなことをらなかったので

 とくに、おそろしいとも

 おもわなかった。



 ただ、

 かれうえかれて

 スーとげられたとき

 なんだか、フワフワしたかんじがしただけである。



 しばらくして、

 そのうえから、

 学生がくせいかおた。



 そのとき

 はじめて、

 いわゆる人間にんげんというものをたのだろう。



 このとき

 みょうなものだ

 とおもったかんじが、いまでものこっている。



 第一だいいち

 おおわれているべきかお

 つるつるして、

 まるで、やかん(kettle)だ。



 その

 ねこにも、だいぶったが

 こんな、みょうかおたことがない。



 それだけではなく、

 かお真中まんなかが、

 あまりにも、している。



 そうして、

 そのあななかから、時々ときどき

 ぷうぷうと、けむりく。



 このけむりには、じつこまった。



 これが、人間にんげんたばこだと

 このごろった。



この小説しょうせつ最初さいしょ

吾輩わがはいは、ねこである。

 名前なまえは、まだい。」

というぶんは、とても有名ゆうめいです。



おそらく、

日本人にほんじんなら、みんなっているでしょう。



さて、ここで、

この「吾輩わがはい」(ねこ)が、

はじめてひとました。



この部分ぶぶん

ねこが、はじめて、ひとかおて、

そのひとが、たばこをっていた、

というだけです。



毎日まいにち生活せいかつなかで、

普通ふつうのことだとおもっていることも、

人間にんげんらないねこにすると

不思議ふしぎなことなのでしょう。



かおいのが奇妙きみょうだと

われると、

そうかもしれない、とおもってしまいます。



このように

ねこから、人間にんげん生活せいかつてみると

人間にんげんというものは、とても不思議ふしぎ

というのが、この小説しょうせつです。



しかし、

この小説しょうせつみながら

よくかんがえてみると

人間にんげんとは、奇妙きみょうなものかもしれない

おもはじめてしまう。



いつも、

普通ふつうだとおもっている人間にんげん生活せいかつ

本当ほんとうは、

奇妙きみょう不思議ふしぎなものだ

というはなしです。



さて、

このねこは、

あるいえむことになります。



そのいえ主人しゅじん(master, husband)は

学校がっこう教師きょうしです。



わるく、

いつも、くすりんでいます。



そして、

いつも、書斎しょさいなかにいます。



吾輩わがはい」が

主人しゅじんについて、かたっているところを

んでみましょう。



 吾輩わがはい主人しゅじんは、

 滅多めったに、

 吾輩わがはいかおわせることがない。



 職業しょくぎょう教師きょうしだそうだ。



 学校がっこうからかえると

 一日中いちにちじゅう書斎しょさいはいったぎり、

 ほとんどことがない。



 いえのものは、

 いつも大変たいへん勉強べんきょうをしている

 とおもっている。



 本人ほんにんも、

 いつでも勉強べんきょうをしているかのように

 せている。



 しかし、実際じっさい

 うちのものがうように、

 いつも勉強べんきょうしているわけではない。



 吾輩わがはいは、

 時々ときどき、こっそり、

 かれ書斎しょさいてみるが、

 かれは、よくている。



 時々ときどき

 ほんひらいたまま

 ている。



 かれは、よわ

 かおいろは、うす黄色きいろで、

 からだ具合ぐあいわるそうだ。



 それでも、

 たくさんめしう。



 たくさんめしったあと

 タカジヤスターゼ(medicine)をむ。



 んだあとほんをひろげる。



 二三にさんページむとねむくなる。



 ほんひらいたままる。



 これが

 かれ毎晩まいばんかえしていることである。



 吾輩わがはいねこながら

 時々ときどきかんがえることがある。



 教師きょうしというものはじつらくなものだ。



 人間にんげんまれたら

 教師きょうしになるのが一番いちばんいだろう。



 こんなにていて出来できるような仕事しごとなら、

 ねこにでも出来できないはずはない。



 それでも、主人しゅじんわせると

 教師きょうしほど、つらいものはないそうで

 かれ友達ともだちたび

 いやだ、いやだ、とっている。



この主人しゅじんには

いろいろな趣味しゅみが、ありますが

どれも下手へたです。



ところが、

あるとき

はじめます。



しかし、やはり

上手じょうずにはけません。



そこで、主人しゅじん

芸術げいじゅつにくわしい、ある友人ゆうじん

相談そうだんします。



そこで、友人ゆうじん

こんなことをいます。



 かれともは、

 金縁きんぶち(gilt-framed)の眼鏡めがねをかけて

 主人しゅじんかおながら、



 「そうはじめから、上手じょうずには、かけないさ、



  第一だいいち部屋へやなかにいて、想像そうぞうばかりで

  けるわけがない。



  むかし

  イタリアのえら画家がかアンドレア・デル・サルトが

  ったそうだ。



  をかくなら、なんでも自然しぜんうつせ。



  そらほしあり。



  つゆ(dew)のひかりあり。



  んでいるとりあり。



  はしっている動物どうぶつあり。



  いけに、さかなあり。



  にカラス(crow)あり。



  自然しぜんは、これ、一枚いちまいおおきなである、と。



  どうだ、

  きみも、らしいをかこうとおもうなら

  すこ写生しゃせい(sketching)をしたら」



 「へえ、アンドレア・デル・サルトが、そんなことっていたんだ。



  ちっとも、らなかった。



  なるほど、こりゃ、もっともだ。



  じつに、そのとおりだ」



 と、主人しゅじんは、とても感心かんしんしている。



 金縁きんぶちうらには

 ひと馬鹿ばかにしたようなわらいがえた。



勉強べんきょうするときに

写生しゃせい(sketching)が大切たいせつ

というのは本当ほんとうだとおもいますが、



アンドレア・デル・サルト(Andrea del Sarto)がった

という言葉ことば

うそです。



この友人ゆうじんは、

うそうのがきなのです。



でも、そんなことをらない主人しゅじん

友人ゆうじん言葉ことばしんじます。



そして、

吾輩わがはい」をこうとします。



 その翌日よくじつ吾輩わがはいは、

 いつものように、縁側えんがわ(veranda)に

 気持きもちよくていたら、

 主人しゅじんが、めずらしく、書斎しょさいから

 吾輩わがはいうしろでなにか、しきりにやっている。



 ふとめて、なにをしているのかと

 すこしばかり、ほそをあけてると、

 かれは、一生懸命いっしょうけんめい

 アンドレア・デル・サルトの真似まねをしようとしている。



 吾輩わがはいは、この様子ようすて、

 おもわず、

 わらわずにはいられなかった。



 かれは、かれともわれたとおり、

 写生しゃせいをしようとしているのだ。



 まず、はじめに、

 吾輩わがはい写生しゃせいしつつあるのである。



 吾輩わがはいは、すでに十分じゅうぶんた。



 あくび(yawn)が、したくてたまらない。



 しかし、せっかく主人しゅじん熱心ねっしん

 いているのを

 うごいては、どくだ、とおもって、

 じっと我慢がまんしていた。



 かれいま吾輩わがはいかたちをかきげて

 かおのあたりに、いろっている。



 吾輩わがはい正直しょうじきう。



 吾輩わがはいは、ねことして、けっして

 出来できほうではない。



 といい、といい、かおかたちといい、

 あえて、ほかねこよりもいとは

 けっしておもっていない。



 しかし、

 いくら、姿すがたわる吾輩わがはいでも、

 いま吾輩わがはい主人しゅじんえがされつつあるような

 みょう姿すがたとは、

 どうしてもおもえない。



 第一だいいちいろちがう。



 吾輩わがはいは、

 黄色きいろうす灰色はいいろ茶色ちゃいろ模様もようをしている。



 これだけは

 だれてもうたがうことができない

 事実じじつだとおもう。



 しかしながら、

 いま主人しゅじんいているいろると、

 でもなければ、くろでもない、

 灰色はいいろでもなければ、茶色ちゃいろでもない、

 だからとって、これらをぜたいろでもない。



 ただ一種いっしゅいろであるというよりほかに

 いようのないいろである。



 さらに不思議ふしぎことは、

 がない。



 もっとも、これは

 ているところをいたのだから、

 そうなるのかもしれないが、

 らしいところさええないから

 ねこか、ているねこか、

 はっきりしないのである。



 吾輩わがはいは、こころなかで、

 いくらアンドレア・デル・サルトでも

 これでは、どうしようもない、とおもった。



 しかし、

 その熱心ねっしんなところには、感心かんしんしてしまった。



 なるべくならうごかずにいてやりたい

 とおもったが、

 さっきから、小便しょうべん(pee)がしたい。



 からだ筋肉きんにくが、むずむずする。



 もはや、一分いっぷんてない状況じょうきょうとなったから、

 もうわけないとおもいながら

 両足りょうあしまえばして、

 くびひくして

 あーあとおおきなあくびをした。



 さて、こうなってみると、

 もう、じっとしていても、仕方しかたがない。



 どうせ、主人しゅじん予定よていこわしたのだから、

 ついでにうらって

 小便しょうべんをしよう

 と、おもって、のそのそあるした。



 すると、主人しゅじんは、

 失望しつぼういかりをわせたようなこえをして、

 部屋へやなかから

 「この馬鹿野郎ばかやろう」(You fool!)とさけんだ。



 この主人しゅじんは、

 ひとおこるときは、かなら

 馬鹿野郎ばかやろうというのが、くせである。



こんなはなし

たくさん、たくさん、つづいてきます。






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