2021年2月7日日曜日

JLPT N3: Japanese Short Stories: Soseki Natsume: I am a Cat



吾輩わがはいねこである』(I am a Cat)を



吾輩わがはいねこである』(I am a Cat)を

んでみましょう。



この小説しょうせつは、

ねこ

人間にんげん一緒いっしょ生活せいかつしながら

人間にんげんについて、かた

というはなしです。



しかも、

そのねこには、名前なまえがありません。



いえ主人しゅじん(master)が、

名前なまえをつけなかったからです。



だから、そのねこは、

自分じぶんのことを「吾輩わがはい」といます。



吾輩わがはいとは、「わたし」という意味いみです。



ふる言葉ことばです。



この小説しょうせつときには、

この「吾輩わがはい」を、

ねこ名前なまえ

おもってむことができます。



さて、この小説しょうせつは、とてもながいのですが、

みじかはなしが、たくさんあつまった小説しょうせつなので

すこしずつんで、

たのしむことができます。



では、最初さいしょのところをんでみましょう。



 吾輩わがはいわたし)は、ねこである。



 名前なまえは、まだい。



 どこでまれたのか、まったく、わからない。



 とにかく、くらいところで

 ニャーニャーいていたことは

 おぼえている。



 吾輩わがはいは、

 ここで、はじめて

 人間にんげんというものをた。



 しかも

 あとでくと、

 それは、学生がくせいという、

 人間にんげんなか一番いちばんわるひとたちだったそうだ。



 この学生がくせいというのは、

 時々ときどき

 我々われわれつかまえて、

 料理りょうりして、べるらしい。



 しかし、その当時とうじは、

 そんなことをらなかったので

 とくに、おそろしいとも

 おもわなかった。



 ただ、

 かれうえかれて

 スーとげられたとき

 なんだか、フワフワしたかんじがしただけである。



 しばらくして、

 そのうえから、

 学生がくせいかおた。



 そのとき

 はじめて、

 いわゆる人間にんげんというものをたのだろう。



 このとき

 みょうなものだ

 とおもったかんじが、いまでものこっている。



 第一だいいち

 おおわれているべきかお

 つるつるして、

 まるで、やかん(kettle)だ。



 その

 ねこにも、だいぶったが

 こんな、みょうかおたことがない。



 それだけではなく、

 かお真中まんなかが、

 あまりにも、している。



 そうして、

 そのあななかから、時々ときどき

 ぷうぷうと、けむりく。



 このけむりには、じつこまった。



 これが、人間にんげんたばこだと

 このごろった。



この小説しょうせつ最初さいしょ

吾輩わがはいは、ねこである。

 名前なまえは、まだい。」

というぶんは、とても有名ゆうめいです。



おそらく、

日本人にほんじんなら、みんなっているでしょう。



さて、ここで、

この「吾輩わがはい」(ねこ)が、

はじめてひとました。



この部分ぶぶん

ねこが、はじめて、ひとかおて、

そのひとが、たばこをっていた、

というだけです。



毎日まいにち生活せいかつなかで、

普通ふつうのことだとおもっていることも、

人間にんげんらないねこにすると

不思議ふしぎなことなのでしょう。



かおいのが奇妙きみょうだと

われると、

そうかもしれない、とおもってしまいます。



このように

ねこから、人間にんげん生活せいかつてみると

人間にんげんというものは、とても不思議ふしぎ

というのが、この小説しょうせつです。



しかし、

この小説しょうせつみながら

よくかんがえてみると

人間にんげんとは、奇妙きみょうなものかもしれない

おもはじめてしまう。



いつも、

普通ふつうだとおもっている人間にんげん生活せいかつ

本当ほんとうは、

奇妙きみょう不思議ふしぎなものだ

というはなしです。



さて、

このねこは、

あるいえむことになります。



そのいえ主人しゅじん(master, husband)は

学校がっこう教師きょうしです。



わるく、

いつも、くすりんでいます。



そして、

いつも、書斎しょさいなかにいます。



吾輩わがはい」が

主人しゅじんについて、かたっているところを

んでみましょう。



 吾輩わがはい主人しゅじんは、

 滅多めったに、

 吾輩わがはいかおわせることがない。



 職業しょくぎょう教師きょうしだそうだ。



 学校がっこうからかえると

 一日中いちにちじゅう書斎しょさいはいったぎり、

 ほとんどことがない。



 いえのものは、

 いつも大変たいへん勉強べんきょうをしている

 とおもっている。



 本人ほんにんも、

 いつでも勉強べんきょうをしているかのように

 せている。



 しかし、実際じっさい

 うちのものがうように、

 いつも勉強べんきょうしているわけではない。



 吾輩わがはいは、

 時々ときどき、こっそり、

 かれ書斎しょさいてみるが、

 かれは、よくている。



 時々ときどき

 ほんひらいたまま

 ている。



 かれは、よわ

 かおいろは、うす黄色きいろで、

 からだ具合ぐあいわるそうだ。



 それでも、

 たくさんめしう。



 たくさんめしったあと

 タカジヤスターゼ(medicine)をむ。



 んだあとほんをひろげる。



 二三にさんページむとねむくなる。



 ほんひらいたままる。



 これが

 かれ毎晩まいばんかえしていることである。



 吾輩わがはいねこながら

 時々ときどきかんがえることがある。



 教師きょうしというものはじつらくなものだ。



 人間にんげんまれたら

 教師きょうしになるのが一番いちばんいだろう。



 こんなにていて出来できるような仕事しごとなら、

 ねこにでも出来できないはずはない。



 それでも、主人しゅじんわせると

 教師きょうしほど、つらいものはないそうで

 かれ友達ともだちたび

 いやだ、いやだ、とっている。



この主人しゅじんには

いろいろな趣味しゅみが、ありますが

どれも下手へたです。



ところが、

あるとき

はじめます。



しかし、やはり

上手じょうずにはけません。



そこで、主人しゅじん

芸術げいじゅつにくわしい、ある友人ゆうじん

相談そうだんします。



そこで、友人ゆうじん

こんなことをいます。



 かれともは、

 金縁きんぶち(gilt-framed)の眼鏡めがねをかけて

 主人しゅじんかおながら、



 「そうはじめから、上手じょうずには、かけないさ、



  第一だいいち部屋へやなかにいて、想像そうぞうばかりで

  けるわけがない。



  むかし

  イタリアのえら画家がかアンドレア・デル・サルトが

  ったそうだ。



  をかくなら、なんでも自然しぜんうつせ。



  そらほしあり。



  つゆ(dew)のひかりあり。



  んでいるとりあり。



  はしっている動物どうぶつあり。



  いけに、さかなあり。



  にカラス(crow)あり。



  自然しぜんは、これ、一枚いちまいおおきなである、と。



  どうだ、

  きみも、らしいをかこうとおもうなら

  すこ写生しゃせい(sketching)をしたら」



 「へえ、アンドレア・デル・サルトが、そんなことっていたんだ。



  ちっとも、らなかった。



  なるほど、こりゃ、もっともだ。



  じつに、そのとおりだ」



 と、主人しゅじんは、とても感心かんしんしている。



 金縁きんぶちうらには

 ひと馬鹿ばかにしたようなわらいがえた。



勉強べんきょうするときに

写生しゃせい(sketching)が大切たいせつ

というのは本当ほんとうだとおもいますが、



アンドレア・デル・サルト(Andrea del Sarto)がった

という言葉ことば

うそです。



この友人ゆうじんは、

うそうのがきなのです。



でも、そんなことをらない主人しゅじん

友人ゆうじん言葉ことばしんじます。



そして、

吾輩わがはい」をこうとします。



 その翌日よくじつ吾輩わがはいは、

 いつものように、縁側えんがわ(veranda)に

 気持きもちよくていたら、

 主人しゅじんが、めずらしく、書斎しょさいから

 吾輩わがはいうしろでなにか、しきりにやっている。



 ふとめて、なにをしているのかと

 すこしばかり、ほそをあけてると、

 かれは、一生懸命いっしょうけんめい

 アンドレア・デル・サルトの真似まねをしようとしている。



 吾輩わがはいは、この様子ようすて、

 おもわず、

 わらわずにはいられなかった。



 かれは、かれともわれたとおり、

 写生しゃせいをしようとしているのだ。



 まず、はじめに、

 吾輩わがはい写生しゃせいしつつあるのである。



 吾輩わがはいは、すでに十分じゅうぶんた。



 あくび(yawn)が、したくてたまらない。



 しかし、せっかく主人しゅじん熱心ねっしん

 いているのを

 うごいては、どくだ、とおもって、

 じっと我慢がまんしていた。



 かれいま吾輩わがはいかたちをかきげて

 かおのあたりに、いろっている。



 吾輩わがはい正直しょうじきう。



 吾輩わがはいは、ねことして、けっして

 出来できほうではない。



 といい、といい、かおかたちといい、

 あえて、ほかねこよりもいとは

 けっしておもっていない。



 しかし、

 いくら、姿すがたわる吾輩わがはいでも、

 いま吾輩わがはい主人しゅじんえがされつつあるような

 みょう姿すがたとは、

 どうしてもおもえない。



 第一だいいちいろちがう。



 吾輩わがはいは、

 黄色きいろうす灰色はいいろ茶色ちゃいろ模様もようをしている。



 これだけは

 だれてもうたがうことができない

 事実じじつだとおもう。



 しかしながら、

 いま主人しゅじんいているいろると、

 でもなければ、くろでもない、

 灰色はいいろでもなければ、茶色ちゃいろでもない、

 だからとって、これらをぜたいろでもない。



 ただ一種いっしゅいろであるというよりほかに

 いようのないいろである。



 さらに不思議ふしぎことは、

 がない。



 もっとも、これは

 ているところをいたのだから、

 そうなるのかもしれないが、

 らしいところさええないから

 ねこか、ているねこか、

 はっきりしないのである。



 吾輩わがはいは、こころなかで、

 いくらアンドレア・デル・サルトでも

 これでは、どうしようもない、とおもった。



 しかし、

 その熱心ねっしんなところには、感心かんしんしてしまった。



 なるべくならうごかずにいてやりたい

 とおもったが、

 さっきから、小便しょうべん(pee)がしたい。



 からだ筋肉きんにくが、むずむずする。



 もはや、一分いっぷんてない状況じょうきょうとなったから、

 もうわけないとおもいながら

 両足りょうあしまえばして、

 くびひくして

 あーあとおおきなあくびをした。



 さて、こうなってみると、

 もう、じっとしていても、仕方しかたがない。



 どうせ、主人しゅじん予定よていこわしたのだから、

 ついでにうらって

 小便しょうべんをしよう

 と、おもって、のそのそあるした。



 すると、主人しゅじんは、

 失望しつぼういかりをわせたようなこえをして、

 部屋へやなかから

 「この馬鹿野郎ばかやろう」(You fool!)とさけんだ。



 この主人しゅじんは、

 ひとおこるときは、かなら

 馬鹿野郎ばかやろうというのが、くせである。



こんなはなし

たくさん、たくさん、つづいてきます。






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JLPT N3: Japanese Short Stories: Soseki Natsume: Ten Nights of Dreams: The Third Night



夏目なつめ漱石そうせき(Soseki Natsume)の

夢十夜ゆめじゅうや(Ten Nights of Dreams・第三夜だいさんや(The Third Night)』を







第三夜だいさんや』(The Third Night)をんでみましょう。



第一夜だいいちや』は、とてもうつくしいはなしでした。



第三夜だいさんや』は、こわはなしです。



 こんなゆめた。



 六歳ろくさい子供こども

 背負せおっている。

 (背負せおう:to carry … on my back)



 わたし子供こどもである。



 ただ、不思議ふしぎこと

 らないあいだ

 子供こどもは、えなくなっていた。



 わたし

 おまえは、いつ、えなくなったのか

 とたずねると

 むかしからだ、とこたえた。



 こえ子供こどもこえだったが、

 はなかた(diction)は、大人おとなである。



わたし」は、子供こども背負せおって

よるみちあるいています。



まわりに、ひとはいません。



わたし」と、その子供こども二人ふたりだけです。



まわりに、いえなにもありません。



んぼ(paddy-fields)のなかです。



そして、

子供こどもえないのです。



 左右さゆうあおんぼである。



 みちほそい。



 くらなか

 とり姿すがた

 時々ときどきえる。



 「んぼにはいったね」と

 背中せなか子供こどもった。



 「どうして、わかる」

 と、わたしたずねると

 「だって、とりくから」

 とこたえた。



 するととり

 本当ほんとう二度にどほどいた。



 ***



 わたし

 自分じぶん子供こどもなのに

 すここわくなった。



 こんなものを背負せおっていては

 これから、なにきるか、わからない。



 どこかにてるところはないだろうかと

 こうをると

 くらなかおおきなもりえた。



 あそこにてようとおもった途端とたんに、

 背中せなか子供こども

 「ふふん」とった。



 「なにが、おかしい?」

 とたずねたが、

 子供こども返事へんじをしなかった。



 ただ

 「おとうさん、おもいか?」

 とった。



 「おもくない」

 とこたえると

 「すぐにおもくなるよ」

 とった。



わたし」は、

よる子供こども背負せおって

だれもいない、んぼのなか

あるいています。



そして、その子供こども

てようとしているのです。



子供こどもてるために

もりかって、あるいているのです。



しかし、

なかなか、もりきません。



わたし」が

あるきながら、こまっていると

背中せなか子供こどもが、

います。



 わたしは、

 なんだかいやになった。



 はやもりって

 ててしまおう

 とおもっていそいだ。



 「もうすこくと、わかる。

  ――ちょうど、こんなばんだった」

 と背中せなか子供こどもっている。



 「なにが?」

 とおおきなこえ

 たずねた。



 「なにが?

  それはっているだろう」

 と子供こどもこたえた。



 すると

 わたしなにっているように

 おもった。



 けれども

 はっきりとは、わからない。



 ただ、こんなばんだったように

 おもった。



 そして

 もうすこけば、わかるように

 おもった。



 わかると、大変たいへん

 ともおもった。



 大変たいへんだから、

 わからないうちに

 はやてようとおもった。



 てて安心あんしんしなければならない

 とおもった。



 わたしは、もりいそいだ。



これは、不思議ふしぎ会話かいわです。



わたし」は、

いまから、子供こどもてようとしています。



しかし、

子供こどもは、

自分じぶんむかしてられたのだ」

っています。



わたし」にとって未来みらいのことが、

子供こどもにとっては過去かこのことなのです。



そして、

わたし」も

自分じぶん過去かこおもそうとします。



しかし、

おもすことができません。



おもすのがこわいのです。



やがて、

わたし」は、もりなかはいります。



そして

一本いっぽんすぎ(cedar)のまえ

ます。



そこで、

子供こどもいます。





 「ここだ、ここだ。

  ちょうど、そのすぎ(cedar)ののところだ」



 あめなか

 子供こどもこえ

 はっきりこえた。



 わたしおもわず

 あるくのをめた。



 わたしは、もう

 もりなかにいた。



 すこさきにあるくろいものは

 たしかに、子供こどもとお

 すぎだった。



 「おとうさん、

  そのすぎのところだったね」



 「うん、そうだ」

 とおもわずこたえてしまった。



 ***



 「百年前ひゃくねんまえだね」

 と子供こどもった。



 なるほど

 百年前ひゃくねんまえだとおもった。



 「おまえが、わたしころしたのは

  いまから、ちょうど百年前ひゃくねんまえだね」

 と子供こどもった。



 この言葉ことばくと、

 すぐに、おもした。……



 いまから百年前ひゃくねんまえ

 こんなくらよるに、

 このすぎで、

 一人ひとりの、えない子供こども

 ころした。



 わたしは、ひところした。



 そうおもうと、突然とつぜん

 背中せなか子供こども

 地蔵じぞう(a god of stone)のようにおもくなった。








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JLPT N3: Japanese Short Stories: Soseki Natsume: Ten Nights of Dreams: The First Night



夏目なつめ漱石そうせき(Soseki Natsume)の

夢十夜ゆめじゅうや(Ten Nights of Dreams)・第一夜だいいちや(The First Night)』を





夢十夜ゆめじゅうや第一夜だいいちや』を

んでいきましょう。



夏目漱石なつめそうせき有名ゆうめい小説しょうせつには、

『こころ』(KOKORO)や、

吾輩わがはいねこである』(I am a Cat)があります。



しかし、

この『夢十夜ゆめじゅうや』(Ten Nights of Dreams)も、とても有名ゆうめいです。



夏目漱石なつめそうせき小説しょうせつなかで、

もっとも、すぐれている、

評価ひょうかするひとも、おおくいます。



夢十夜ゆめじゅうや』は十個じっこゆめはなしです。



それぞれ、ひとひとちがはなしです。



第一夜だいいちや』(The First Night)をんでみましょう。



どのはなしも、

「こんなゆめた。」というぶん

はじまります。

ゆめる:to dream)



 こんなゆめた。



 わたしは、おんなの、そばにすわっていた。



 おんなは、ていた。



 そして、おんなは、しずかに、った。

 ……もう、にます。



 おんなかみながく、

 まるかおをしていた。



 しろい、ほほは、すこあかい。



 もちろん、くちびる(lips)もあかい。



 とても、ぬようには、えない。



 しかし、おんなしずかに、はっきりとった。



うつくしいおんなています。



そのよこに、「わたし」はすわっています。



そして、おんなは、

「もう、にます」

います。



このゆめは、

そんな場面ばめんからはじまります。



わたし」には、

おんな元気げんきなようにえます。



だから、

おんなぬとは、おもえません。



本当ほんとうぬのだろうか、

おもいます。



そして、

そのことをおんなたずねます。



しかし、

おんなは、やはり

「もう、にます」

います。



そんな会話かいわかえします。



そこで、

わたし」も

おんなは、ぬのだろう

おもいます。



すると、おんなは、

自分じぶんんだら

はかつくってしい

います。



そして、

そこで自分じぶんっていてしい

います。



 しばらくして、おんなが、こうった。



 「んだら、

  はかつくってください。



  そらからちてた、ほしかけら(fragment)で

  はかつくってください。



  そうして、はかの、そばで

  っていてください。



  またいにますから」



 わたしは、

 いついにるのか

 とたずねた。



 おんなった。



 「太陽たいようるでしょう。



  それから太陽たいようしずむでしょう。



  それから、また、るでしょう。



  そうして、また、しずむでしょう。



  ――あか太陽たいようひがしから西にしへ、

  ひがしから西にしへと

  ちてあいだ

  あなたは、っていられますか」



 わたしは、

 っている

 とこたえた。



 おんなは、

 すこおおきなこえった。



 「百年ひゃくねんっていてください」



 それは、

 なにかを決心けっしんしたようなこえだった。



 「百年ひゃくねん

  わたしはかのそばにすわって

  っていてください。



  きっと、いにますから」



おんなは、「わたし」に

はかのそばで、っていてしい

と、います。



しかも、

百年ひゃくねんっていてしい

と、います。



とても不思議ふしぎはなしです。



わたし」は

っている、

と、おんな約束やくそくします。



すると

おんなんでしまいます。



 おんなじた。



 じたから、なみだ

 ほほへながれた。



 ――おんなは、もうんでいた。



わたし」は

おんなわれたとお

はかつくります。



そして、

はかよこすわって

おんなっています。



わたし」は

百年ひゃくねんぎるのを

っているのです。



 わたしこけ(moss)のうえすわった。



 これから、百年ひゃくねんあいだ

 こうしてっているのだな

 とおもった。



 そうおもいながら

 はかながめていた。



 そのうちに

 おんなったとお

 太陽たいようひがしからた。



 おおきなあか太陽たいようであった。



 それが、また、

 おんなったとおり、

 やがて西にしちた。



 あかいまま、ちてった。



 ひとつ、と

 わたしかぞえた。



 ***



 しばらくすると

 また、あか太陽たいよう

 のぼってた。



 そうして、

 だまって、しずんでしまった。



 ふたつ、

 と、また、かぞえた。



 ***



 わたしは、このように

 ひとつ、ふたつ、とかぞえながら、

 あか太陽たいようをいくつたのか

 わからなくなった。



 かぞえても、かぞえても、

 あか太陽たいようが、

 あたまうえとおぎてった。



 それでも、まだ、

 百年ひゃくねんは、ない。



 しまいには、

 こけ(moss)でおおわれた、まるはか

 ながめて、

 おんなうそをついたのかもしれない

 とおもはじめた。



わたし」は

じっとすわって

おんなっています。



しかし、

おんなません。



わたし」は

おんな言葉ことばうたがはじめます。



そのときです。……



まえ

はなきます。



しろ百合ゆり(lily)のはなです。





 はかしたから、わたしほう

 あおくき(stem)がびてた。



 それは、すぐに、ながくなって

 わたしむねのあたりまでた。



 とおもうと、

 すこれているくきさき

 ちいさなはなひらいた。



 しろ百合ゆり(lily)だった。



 つよかおりがした。



 そこへ、うえから、つゆ(dew)がちてたので

 はな

 ふらふらとうごいた。



 わたしはなにキス(kiss)をした。



 ふととおくをると

 夜明よあけのそらに、

 ほしひとつ、かがやいていた。



 「百年ひゃくねんは、もうていた」

 と、このときはじめてった。






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JLPT N4: Japanese Short Stories: Ryunosuke Akutagawa: The Spider's Thread



『くものいと』(The Spider's Thread)

芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけ Ryunosuke Akutagawa





『くものいと』(The Spider's Thread)を



芥川龍之介あくたがわりゅうのすけみじか小説しょうせつです。



これは、

天国てんごく(heaven)と地獄じごく(hell)のはなしです。



天国てんごくには、

おしゃかさま(Buddha)がいます。



地獄じごくには

カンダタという、とてもわるおとこがいます。



カンダタは、とてもわる泥棒どろぼうでした。



天国てんごくには、

いけがあります。



そして、

そのいけから

地獄じごくえます。



いけした

地獄じごくがあるのです。



ある

おしゃかさまは、

天国てんごく散歩さんぽしていました。



そして、

いけると、

地獄じごくにいる、カンダタえたのです。



 あるのことです。



 おしゃかさま(Buddha)は

 天国てんごく(heaven)のはす(lotus)のいけのまわりを、

 ひとりで、散歩さんぽしていました。



 天国てんごくは、ちょうど、あさなのでしょう。



 おしゃかさまは、

 いけうえはすあいだから、

 いけしたました。



 この天国てんごくの、はすいけしたは、

 ちょうど、地獄じごく(hell)なのです。



 だから、

 いけみずした

 地獄じごくいけや、はり(needle)のやまえるのです。



 すると、

 カンダタというおとこ一人ひとり

 ほかわるひとたちと一緒いっしょに、

 地獄じごくにいるのがえました。



カンダタというおとこは、

とてもわるおとこでした。



たくさんのひところしました。

ころす:to kill)



それでも、

ひとつだけ

いことをしました。



あるとき

くも(spider)をころさなかったのです。



 このカンダタというおとこは、

 ひところしたり

 いえをつけたり、

 いろいろなわるいことをした、泥棒どろぼうです。



 が、それでも

 たったひとつ、ことをしました。



 あるとき

 このおとこ

 ふかはやしなかあるいていると

 まえ

 ちいさな、くも(spider)が、一匹いっぴき、いました。



 そこで、カンダタ

 すぐに、あしげて

 ころそうとしました。



 が、

 そのときカンダタは、おもいました。



 「いや、いや、

  ちいさくても、きているものだ。



  それを、理由りゆうく、ころすのは、

  よくない」



 そして、

 その、くもをころさずに

 たすけてやったのです。

 (たすける:to save)



カンダタは、

一度いちどだけ、いことをしました。



おしゃかさま

そのことを

おもしました。



そして、

カンダタたすけてやろう

おもいます。



おしゃかさま

くものいと

天国てんごくから地獄じごくへと、

ろすのです。



 おしゃかさま

 地獄じごくながら

 このカンダタが、くもをたすけたことを

 おもしました。



 そして

 そんなことをしたのだから、

 出来できるなら、

 このおとこ地獄じごくからたすしてやりたい

 とかんがえました。



 はすうえに、

 天国てんごくの、くもが一匹いっぴき

 うつくしい銀色ぎんいろ(silver)のいとをかけています。



 おしゃかさま

 その、くものいと

 そっと、って、

 しろい、はすあいだから、

 地獄じごくへ、まっすぐに、ろしました。



カンダタ

地獄じごくにいました。



カンダタは、

つかれていました。



まわりのわるひとたちも、

つかれていました。



とお地獄じごくちてくるまでに、

ちからは、なくなってしまい、

もう、こえすことも出来できなかったのです。



だから、

地獄じごくは、

くらしずかでした。



 カンダタ

 地獄じごくいけなかにいました。



 地獄じごくなかは、

 どちらをても、くら



 その、くらなかに、えるものがあるとおもいますと、

 それは、あのはりやまはり

 ひかっているのです。



 しかも

 あたりは、とてもしずかでした。



 地獄じごくちてるような

 わるひとたちは、

 もう、さまざまなばつ(punishment)をけて、

 つかれ、

 こえちからも、くなっているのでした。



 ですから

 とてもわる泥坊どろぼうカンダタも、

 やはり

 いけなか

 なにをするちからもなくなり、

 んだように、かんでいるのでした。

 (かぶ:to float)



そんなときに、

一本いっぽんのくものいとが、

そらからりてたのです。



カンダタよろこびます。



そして、

そのくものいと

のぼりはじめます。



くものいとをのぼって

地獄じごくからて、

天国てんごくこうとします。



 ところが

 あるときことです。



 カンダタあたまげて、

 いけそらていると、

 そのしずかでくらなか

 とおとおうえほうから、

 銀色ぎんいろのくものいとが、

 りてるのです。



 一本いっぽんいと

 ほそひかりながら、

 自分じぶんうえへ、りてるのです。



 カンダタは、これをると、

 とてもよろこびました。



 このいとを、のぼってけば、

 きっと、地獄じごくから、られるかもしれません。



 いや、

 それだけではなく

 天国てんごくはいこと

 出来できるかもしれません。



 そうすれば、

 もう、はりやまをのぼる必要ひつよう

 なくなります。



 こうおもいましたから

 カンダタは、すぐに

 その、くものいとを、しっかりと、

 一生懸命いっしょうけんめい

 うえうえへと、のぼりはじめました。



カンダタ

くものいとをのぼって

天国てんごくこうとします。



しかし、

カンダタが、いるのは

地獄じごくです。



天国てんごくは、

地獄じごくからは、とてもとおいのです。



カンダタは、

つかれてしまいます。



つかれたので、

途中とちゅうやすむことにします。



カンダタ

やすんで

したました。



そして

とてもおどろきます。



 しかし

 天国てんごくは、

 地獄じごくから、とてもとおいので、

 いくらいそいで、のぼっても

 簡単かんたんには、地獄じごくからられません。



 しばらく、のぼっていると

 とうとう、カンダタつかれてました。



 もう、すこしも、うえほうへは

 のぼれなくなってしまいました。



 そこで

 まず、すこやすむつもりで、

 途中とちゅうで、いとをしっかりったまま

 したを、てみました。



 すると、

 いままで自分じぶんがいたいけは、

 もう、とてもとおくにえます。



 それから

 くらなかひかっていた、あのはりやまも、

 とてもとおくにえます。



 このまま、のぼってけば、

 地獄じごくからるのも、

 おもったより、簡単かんたんなことなのかもしれません。



 カンダタ

 くものいとったまま

 地獄じごくちてから、何年なんねんものあいだ

 したことのないこえで、

 「やったぞ。やったぞ」

 とって、わらいました。



 ところが

 そのとき

 カンダタには、あるものが、えました。



 くものいとしたほうから、

 たくさんのわるひとたちが、

 自分じぶんの、のぼったあとを、

 うえうえ

 一生懸命いっしょうけんめいに、のぼってるのです。



 カンダタ

 これをると、

 とても、おどろいて、

 そして、こわくなりました。



したると、

地獄じごくにいたほかわるひとたちが、

みんな

そのいとをのぼってていたのです。



カンダタは、

そんなにたくさんのひとが、のぼってくると

いとれてしまう

おもいます。

れる:to break)



いとれると

自分じぶんも、また、地獄じごくちてしまう

おもいます。



そこで

カンダタいました。



 そこで、カンダタ

 おおきなこえいました。



 「こら、

  この くも のいと

  おれのものだぞ。

 (おれ:I)



  おまえたちの、ものではない。



  おまえたちは、りろ。

  りろ」



カンダタが、そうった、そのとき

いとれました。



カンダタっているところから

いとれてしまったのです。



 そのときです。



 いままで、なんともなかった、くものいとが、

 カンダタっているところから

 ぷちりと、おとてて、

 れました。



 ですから

 カンダタも、

 かぜのように、

 くるくる、まわりながら

 地獄じごくちてしまいました。



天国てんごくの、おしゃかさま

それをていました。



くものいと

たくさんのひとが、のぼろうとしたから

れたのでは、ありません。



自分じぶんだけがたすかろうとした

カンダタの、そのわるこころのせいで

いとれてしまったのです。



おしゃかさま

カンダタちるのを

ていました。



そして

カンダタが、

いけなかうごかなくなり、

いしのようになってしまうのを

ていました。



おしゃかさま

すこおどろいたような

かなしいようなかおをしました。



しかし、

また、

しずかに散歩さんぽはじめるのでした。






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